写真で振り返るナショナルフーズの歴史

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1976年の創業、1号店の開業から半世紀近くお客様の笑顔に寄り添う「どんどん亭」。

昨年オープンした姉妹店「ひびき」も1周年を迎え、おいしいひとときを提供し続けています。

一体どのようにしてお客様から長年愛される店舗を作り出すことができたのか?

今回はナショナルフーズの歴史を当時の写真とともに振り返っていきます!

店舗の歴史

1976年7月、「どんどん亭」への歴史が始まりました。

店舗の始まりは”焼肉”ではなく”◯◯専門店”だった!?

現在、「ひとりのお客様の満足」を理念に、厳選したお肉をお値打ち価格で提供しているどんどん亭。

しかし、その始まりは、何と!「串揚げ屋さん」だったのです。

「どんどん亭」1号店誕生から、遡ること4年前の1972年。先代社長である現会長が始めたのが、「串揚げ専門店」。

当時の岡山では串揚げ料理の認知度はほとんどなく、来店客ゼロの日も…。それでも、徐々に売り上げを伸ばしていき、3年目には2店舗目をオープンすることになります。

さらに、3店舗目を開業するときには、焼肉に業種を変えて挑戦することを決意したのでした。焼肉1号店「串兵衛」と命名されたその店舗は、1階が店舗で、2階に宴会場その一角の4畳半が居住スペース。当時生まれたばかりだった息子さんを背負いながら仕事をするなど、無我夢中の営業だったそうです。

それが、「どんどん亭へ」と続いていくのです。

1976年7月 初の焼肉店は大成功…!?

↑超貴重!当時のメニューがこちら

満を期して水島に焼肉店をオープン!

当時の店名はまだ、どんどん亭ではなく「焼肉串兵衛」という名前でした!

順調にいくと思っていた焼肉店経営に2つの試練が待ち構えていたのです…

試練① 店名を正しく読んでもらえない!?

焼肉チェーン店を目指して名付けた店名は、「焼肉 串兵衛」。しかし、お客様に正しく読んでもらえなかったのです。「くしへいべい」とか「くしひょうえい」と呼ばれたり…。

試練② お肉が固くて美味しくない!?

開店した日から数日間は大盛況でしたが、料理を召し上がるお客様の反応はイマイチ…。その理由は、料理を食べてみてすぐわかりました。肉が固くて美味しくなかったのです…。

それからは、試行錯誤の日々が続いたのでした。

「どんどん亭」に込められた想い

焼肉店経営への挑戦に立ちはだかった試練をどう乗り越えたのか。

代表の三宅社長に直撃しました!

三宅社長のアイコン画像三宅社長

当時のことをよく先代の社長から聞かされていましたね!

店名を間違われてしまうということは、それだけ覚えにくいということになりますし、何より「お客さまにご迷惑をおかけしている」「恥をかかせてしまっている」と反省したんです。

そこで、小さなお子さんでも読める「ひらがな」の店名にすることを決意しました。勢いがあって、響きが良く、覚えやすく、火が燃え上がる焼肉のイメージにピッタリ!と考えたのが「焼肉どんどん」という店名でした。

↑「どんどん亭」へと姿を変えた水島店(1号店)
三宅社長のアイコン画像三宅社長

また当時は、焼肉レストラン出身のコックさん1人に任せっぱなしだった調理やメニュー作りの変更にも着手しました。「提供する商品は絶対に美味しくなければならない!」ということを強く心に刻みながら「さらに美味しく!」という気持ちで、メニュー開発に一層力を入れるようになっていきました。

その後、1981年には無煙ロースターの導入にあわせ、「どんどん亭」と店名を変更し、店舗拡大に成功したのでした。

今や多くのお客様にご愛顧いただいている「どんどん亭」成功の裏には、お客様に対するたくさんの想いが込められているのです。

焼肉店以外にもこんな業態に挑戦したことが!

串揚げ店から焼肉店への転換を図ったどんどん亭ですが、実はこんな業態にも挑戦したことがありました。

お好み焼き 『プチエッグ』

松田聖子さんや中森明菜さんが大人気となり、Y’sやコム・デ・ギャルソンなどのメンズDCファッションが大流行した1985年。ナショナルフーズはお好み焼き「プチエッグ」をオープン。

白を基調にしたカントリー調の建物で出されるおしゃれな洋食の数々は、当時コンサバファッションに身を包んだ女性たちを虜にしました。

洋食カジュアルレストラン『バートングリーン』

ボディコンやディスコが流行し、ドラゴンクエストシリーズの第一作が登場した、1986年。サンディエゴのピアにあるようなレストランをイメージしたアーリーアメリカン風の洋食店「バートングリーン」が中庄にオープン。

ロブスターやサーモンステーキなど、本場のシーフード料理を味わえる店として、若者を中心に話題を集めました。

ナショナルフーズのロゴの歴史

お馴染みのどんどん亭のロゴも実は変化していたのでした。

1、初代店舗ロゴ

2、2代目店舗ロゴ

3、3代目店舗ロゴ(現在のロゴ)

その時代の流行に合わせて、ロゴの字体やカラーも大きく変化してきています。

しかし、小さなお子様でも読みやすいように、ひらがなで書かれた「どんどん」の文字。元気に踊るこのロゴには、お店の勢いのよさとお客様への思いやりが込められています。

メニューデザインも毎年リニューアル

カレンダー

自動的に生成された説明

どんどん亭では、料理の美味しさはもちろん、メニューブックにもこだわっています。

より見やすく、より食欲をそそるような内容にするため、毎年のようにリニューアルしているのです。

あの定番メニューの登場はいつ?

新商品の開発や品質向上に挑み続けるどんどん亭は、手軽にお腹いっぱい食べられる「焼肉の定食化」にいち早く取り組みました。

その取り組みは、大成功!

売り上げを飛躍させる起爆剤となって、今でも多くの方から愛される定番メニューとなっています。

今では想像できない幻のメニューも!?

「お客様をよろこばせたい!」「お客様を満足させたい」、そんな想いから商品開発に取り組んだ結果、今では想像もつかない幻のメニューを提供していたことがありました。

当時を知る人は思わず「こんな時もあった(笑)!」と懐かしさを思い出すのではないでしょうか?

その幻のメニューがこちら!

さっぱりした味わいの「茶そば」で新しいシメのメニューを試みてみたり、

通常の海鮮焼きには並ぶことのない贅沢な「焼ガニ」まで惜しみなく提供していました!

こういった様々な視点を取り入れることで、どんどん亭はお客さまに新たな形を提案していました。お客様を満足させる美味しい料理を提供したいという想いは今も受け継がれています。

今後一体どんな新商品が生まれるのか…期待です!

まとめ

みなさんいかがだったでしょうか?

改めて会社の歴史を振り返ると、知らないことだらけ…だったのではないでしょうか?

今回の記事を通じて、「働く人の様々な想いが繋がって今がある」ことが少しでも伝わっていると嬉しいです。

最後に、「どんどん亭がお客様にとってどんな存在であるべきか」を決定づけたエピソードを紹介します!

私がお店を作りたいと思った原点

「焼肉どんどん亭」一号店を開店して間もない1976年の秋。閉店間際、小中学生の兄弟とその母親が来店しました。その親子は、「豚バラ2人前」と大盛ご飯3つを注文。子供達は競うように食べ始め、お肉はあっという間になくなります。すると今度は、あまったご飯にタレをかけて、おいしそうに平らげていきました。「美味しかったです。ありがとうございました。」と言って、軽く頭を下げて帰っていかれました。

こうまでして私たちのお店に来てくださった親子の食事風景が、私の脳裏に焼き付きました。そして、同時にこんな思いが沸き上がってきました。

お一人でも多くの方に、美味しいお肉をお腹いっぱい食べていただきたい。家族や親しいお友達、仲間同士で、穏やかな団らんの時を過ごしていただける。そんなお店が作れたら…

「私がお店を作りたい」

そう思った原点です。

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